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顔というのは人の第一印象を決める。とても大切だ。柔和な顔、怖い顔、真面目な顔、目尻のシワ、口角の上がりやすさ、だらし無い二重顎、まあ、色々とその人を判断する材料に溢れている。40を過ぎれば顔に責任を持てなんて人もいた。それもまあわかる。
でも、人は顔で美しいか美しくないかを判断する。勿論個性的な顔もあって、人それぞれではあるけども、美人コンテストはあっても不美人コンテストはなく、美顔器はあっても不美顔器は無い。これは一体なんだろう。
生物の仕組みとして、逞しい男性に惹かれる、健康そうな女性に惹かれる。これはわかる。だけど、美しさと言う何某かの基準があって、相手をそれで判断する動物は、他にいるのだろうか?いや色々な研究で それに似た 基準があることは聞いているけど、人間のように美の基準 そのものが動いてしまうのは、やはり他に例がないと思う。
コロナの頃、マスク美人という言葉が流行った。どうやら人間の脳は、見えないものは自分に都合よく解釈するように出来ているらしい。
一方で、美人は3日で飽きるなどと言う言葉もある。まあ僕が美人だったら、非常に怒るだろうけど。
更に、美人だとか、イケメンだとか、可愛いだとかでもてはやされるのは、若い頃の一瞬の話だ。歳を重ねると、往々にして大体一緒くただ。
逆に、若い頃、美人やイケメンで持て囃されて、中身は伴わず年を経ると、なぜか 残念な感じがしたりもする。
更に妄想を広げる。人は自分のペットの顔が可愛いという。うちのワンちゃんは、猫ちゃんは。確かに言われてみれば可愛い。しかし、彼らはどう思っているのだろう。
そしてある日宇宙人が、やってきたとする。宇宙人にとっておそらく、地球の基準は何の意味もなさないだろう。
結局、何なのだ。
これらを合わせると、どう理解すべきなのだろう。
例えば頭の中で、人の顔を全て果物に置き換えてみる。ある人は首からミカンが生え、ある人はリンゴが、ある人は柿が、といった具合だ。
また、例えば人の顔は全部色紙だとしたらどうだろう。ある人は赤、ある人は黄色、ある人は白。
好みが人それぞれとなるのは容易に想像できる。そして、見えているものが性格しか無いとすれば、そこに自由に自分の好きな顔を落書きするわけだ。
うん、それがベストかもなと、美味しく甘い柿を頬ばりながら考えた。